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思考の変遷 130425

2013.4.25 WATARU MUTO

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The Forum
のイメージに関して。

The Forumのあり方のイメージを表するのに、セルジュ・ゲンスブールを引き合いに出して、立ち上げの関係者たちに伝えた。1960年代~70年代にフランスのポップミュージック界で活躍した。顔はそんなにかっこいいとは言えないのだが、とにかく、美人にもてた。ジェーン・バーキンやブリジット・バルドー。こんな女性たちどうやって口説くんだと腰が引けてしまうぐらいの女性たちと浮名を流した。

ポップミュージックなのだが、歌詞がアイロニーや性表現と言った、批判的、攻撃的な要素を含んでいたり、赤裸々な表現とかで話題を作ったのだろう。政治的発言などもしたり、酔っぱらってテレビに出演したり。ハチャメチャな側面も持つが、なんか、知的で全体としてかっこいい。

The Forumにはそういう要素を表現したかった。空間もかっこいいのはさることながら、色気のあるかっこいい人たちが集まるだろうと思った。仕事をやりきっている人たちって、もちろん考え方もしっかり持っているし、哲学も持っている。そして仕事に対して当たり前だがとても真摯でまじめだ。でも一方で遊び心を持っていて、遊び方だったりが、やたらかっこいい。そして結果、もてる。

知的議論を重ねたり、それにより具体的なことを、The Forumに入居した人や関わった人たちと発信していきたいと思っている。が、それは、何かただの勉強会的な、まじめキャラクターだけでは実際できないと思う。セルジュ・ゲンスブール的知性と色気と破壊的行動力が伴ったような人々。そういう人が集うことにより、この場の価値がまた上がる。ここにはかっこいい人や、美しい人が集ってきている。

思考の変遷 130415

2013.4.15 WATARU MUTO

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若いころは、クラブが好きだった。 クラブにもいろいろあって、ちょっとナンパっぽい出会いを求めていくようなクラブが主流だったが、僕はもっぱらマニアックラブとか、とにかくテクノを聴いて、ひたすらストイックに踊るというような場所が好きだった。
それこそミネラルウォーターしか飲まずに朝まで踊ったりしていたこともあった。二十歳ぐらいのころの感覚。地下に降りていくと、4つ打ちのキックドラムの音が聞こえてくる。腹に振動が伝わってくる。そんな高揚感が好きだった。

そんな空間で、いろいろな人がいて、日本人も外国人も、男性も女性も、ゲイも、たまになぜかおじいさんとかがいたりとか。誰が誰であるかなんてどうでもよく、音のシャワーを浴び、内臓に4つ打ちの振動を感じ、かっこいい悪いかなんて関係なしに、それぞれが好き好きに踊る。午前3時ぐらいにもっとも盛り上がりがあり、そのなかで朝を迎える。くたくたに疲れて汗だくになっているときに、電気グルーヴの虹なんかがかかったりする。その瞬間のなんだかわからない、峠が見える感じが、とても好きだった。

そんな時何かアジア的平等というか、優劣、人種、強弱、貧富、そういったものを超えた平等感なんかを感じたものだった。建築や不動産に携わる中で、どこかそういう感覚を求めているような気がする。
もちろん日々日常には、それぞれの立場からの摩擦やすれちがい、意見や主張のぶつかり合いがある。しかし、そういったものすべてを何らかの共有感の中で、まあどうでもいいや、と思えるような機会。それを求めているところがある。

シェアカンパニーで運営するシェアハウスの一つに、ペットも住めるし、子供とも住めるシェアハウスがある。
シングルマザーの人とかとてもシビアに働きながら子育てをしている人たちがいて、そういう人たちが、なんとなく、互いにプロフェッショナルではないが、子育てとかの大変さを共有していく仕組み。もちろん子供の泣き声がうるさいとか、どたばた走る音がうるさいとか、日々の暮しにはいろいろあるだろうが、そうゆう雑多で多様なものを受け入れて暮らすことが、ともに住む人たちに与える好影響は大きいと思う。

かつては地縁社会全体で子育てとかをしていて、いろいろな立場で子を育てていかなければならない人たちを受け入れる環境があった。シェアハウスでその一部を担うことはできるのではと思う。でもそれには、雑多性を寛容に受け入れる、平等意識が必要なのではと思う。久々クラブでテクノが聴きたいな。

思考の変遷 130409

2013.4.9 WATARU MUTO

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IDEEに関して、又は黒崎さんに関して。

出会いが人を加速させて、成長を促すと思っている。

長年付き合っていても、まったく仕事にならない人もいれば、出会って、数ヶ月で、とても深い仕事に発展する人もいる。出会うことにより、お互いなのだろうけれども、急速に発展し、成長することがある。僕はそういった意味では、重要な出会いに恵まれているのだろうと思う。江副さんとの出会いも僕にとってはもちろんそうであるが。 IDEEを創業した黒崎さんとの出会いもとても大きかった。とにかくアイデアとエネルギーと、人を巻き込んでいく、夢を見させる天才だった。
そして若者に機会を与え、伸ばした。黒崎さんに出会ったのは、僕がまだ大学院生の時で、その時やっていた活動にIDEEに賛同してもらいたく、無謀にも会いに行った。
青山のIDEE本店に行って、なんだかわからない活気がある中で会わせてもらってプレゼンしたが、多分黒崎さん、話はほとんど聞いていなかっただろう。後日黒崎さんにそのことを話したが、覚えていなかった。それはそうだ。その時黒崎さんはTokyo Designers Blockに夢中で、切り返しに、その話ばかりされた記憶がある。

その後、江副さんの会社に勤めているときに、個人で、中央区八丁堀のぼろ屋を改装して、リノベーション的なことを始めていた時に、友人がIDEEにいたので、誘われて、なんだかわからずにある会にいった。

それがR-projectの始まりだった。

そのとき集まった人たちは、いろんな人がいた。東京R不動産もある意味そのころが原点だったと思うし、今活躍している建築家の方や、今では作家になった方や、とにかく、横断的であらゆる活動をしている人達だった。そういう人たちをなんだかとにかく集め、巻き込み、本をつくったり、具体的なことが始動したりと。それが黒崎さんの求心力だった。僕は当時25歳とかで、よくわからず、でも熱狂していたのだと思う。


結果その延長線上に今の付き合いもあるし、仕事の流れの一筋もある。その後いろんなことがあって、疎遠になってしまったり、それこそ立場上対立的になってしまったり、とにかくいろんなことがあったが。でも個人的には、あるいは人間関係的にはいろいろあれど、2002年くらいの黒崎さんが声掛けしたことを始まりとして、関わった人が、多くの活動を開始して、あるいは加速させて、不動産や建築、それらが提供する人々の暮らし、そういったものに少なからずの影響を与える行動を拡大させていったのは、まぎれもない事実であると思う。

そして僕もその一人で、黒崎さんとの出会により、事業というか、そのもとになる考え方、活動全体を拡大させることができたと思っていて、とても感謝しているのだ。ある個人の旗印に人が少なからずの興味、というか、魅力を感じて集まる。その関係性が会社という形だけではなく、それらを超えた活動に発展する。もちろんコミットメントなき組織は続きづらいという側面もR-projectで学びはしたが。でも、長いスパンで見た時に、そこで集まった人たちがその後に、世に与えた影響を考えたら、とても意味のある熱狂だったのではと、強く思う。


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