THE FORUM 世田谷

思考の変遷 130403

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武藤 弥 思考の変遷

僕はシェアハウスの供給戸数が、10万~15万室になると考えている。

そもそもシェアハウスという暮らし方は、新しく特殊なことなのか。僕はそう思っていない。

シェアハウスを投資対象として見た場合、まだ理解が深くされておらず、金融機関も取り組んだ実績が少ないために、収益還元でなかなか見てくれなかったりして、評価が伸びず、つまり、ローンが伸びず、結果、物件そのもののキャッシュフローは高くとも、エクイティ利回りは伸びづらいという状況になっている。この状況をあらゆることをして変えていくことが、シェアハウスの供給戸数を伸ばすことにつながると思っている。

その啓蒙活動として。

まず、シェアハウスは、実は、とても普通な住み方の一つと考えている。例えば、我々の父親世代が東京に上京してきたときに、皆、三畳一間、風呂なし共同トイレの木賃アパートに住んだり、下宿したりした。それが当たり前の暮らしだった。もっと言えば、戦前なんて、東京で一人暮らしをするアセットタイプなんてとても少なかった。江戸時代や明治時代の都心の人の暮らしなんかを歴史的に見ても、例えば、文豪なんかも大体、建物オーナから間借りとかしていて、つまり、シェアして住んでいた。フスマ向こうは他人が住んでいる。空いているスペースは賃貸に出して、資産を有効活用する。それが当たり前だったのだ。

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戦後、プライバシーという言葉が輸入されてきて、個室を持つことが豊かさの指標になった。家族川の字になって寝ていた時代から、子供部屋を持つ、つまり一人一つの個室を持つことが豊かだとなり、下宿人を取るなんて発想はどんどん減っていった。

そして、30年くらい前からワンルームマンションというモノが大量に供給され始めた。東京という地価の高い場所でも、プライバシーを確保しながら住める手段として、一気に認知されていった。今ではワンルームというカテゴリーは不動産のアセットタイプとしても確立しているし、ローンもつくし、不動産投資商品として普通に流通している。でも、実はこれはここ30年あまりのこと。長い時系列でみれば、むしろ、ワンルームの方が新しい暮らし方なのだ。

経済の規模が縮小しつつあり、デフレが進行する先進国では、資産を有効活用し、効率的に空間を利用するという発想は当たり前であり、設備や空間を効率よく共有して暮らすという、シェアハウスの発想は、実はとても自然だ。そしてむしろ、日本人がより長期間してきた暮らし方なのだ。よく、海外ではシェアハウスは当たり前で、日本人には向かない、という論調が多いが、僕は、日本人はシェアハウス暮らしに慣れているし、国民性含め、とても向いていると考えている。

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シェアハウスの管理をしていても、それを感じる。主張のぶつかり合いによってなりたつ外国人のシェアハウスに比して、日本人のそれは、どちらかというと、遠慮とマナーによって成り立っている。平均的教育レベルも高いし、倫理観や道徳観もそれほど大きなブレ幅がない。そういった意味では、管理もとてもしやすいし、確かに、とてもうまくみなさん暮らしている。

決して斬新で若者ファッションで特殊性のある暮らし方ではないのである。綿々と日本人の感性に根付いてきた地縁社会的、土地に根差した暮らし方の延長線にある感覚と、都心暮らしの効率性を追求したバランスに成り立っているのである。

なので、一度認識されれば、自然と増えるだろう。東京の単身者世帯は約300万人くらい居て、そのほとんどがワンルームを中心としたマンションだったりに住んでいるのだ。そのごく一部の人がシェアハウスに住むということは、そんなに、無理のある推論ではないと考えている。

2013.04.03 Wed by 武藤 弥 from Staff

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