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血と涙の韓国大統領と財閥

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「鏡を見ると、本当に目に赤い液体が溜まっていた。
 ハンカチに赤黒い液体がついた。血涙だった。
 文学的レトリックだと思っていた血涙を
 実際に見たのはその時が初めてだった。」

李明博・前韓国大統領の『李明博自伝』(新潮文庫)のフレーズだ。

彼は若干35歳にして財閥・現代グループの社長になる。その折、全斗煥軍事政権の権力闘争に巻きこまれ、中央情報部(KCIA)の地下室に連行され、政治献金がらみの自白を強要される。拷問も仄めかされる中、彼は断固として口を閉ざしたが、その後の官僚たちとの激しいやり取りの中で、この一節に至る。

我々日本人から見ると、韓国人の気質はあまりにも激昂的だ。韓流ドラマでは登場人物たちが血と涙の嵐の中を翻弄される。しかし、それはドラマの中だけの出来事ではない。実際に血の涙が流れていたのだ。

李明博は1941年大阪に生まれ、戦後、韓国浦項に家族で引き上げる。その時の船が難破し、命からがら辿り着いた祖国で待っていたのは赤貧の日々だった。さらに、すぐ始まった朝鮮戦争で、兄弟を目の前で米軍に爆撃され、亡くしてしまう。肉体労働で日々のカネを稼ぎながら大学に通った李明博は学生運動に参加し、投獄されるが、その後現代建設に入社し、異例の出世を重ね、現代をグローバル企業に成長させ、大統領まで登りつめる。その李明博も去り、昨年末、北東アジア初の女性最高指導者・朴槿恵大統領が就任した。

朴槿恵もまた、既に悲劇のヒロインの刻印が色濃く押されている。彼女の父・朴正熙元大統領は、輸出型企業を重点的に優遇することで「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長を達成し、韓国をアジア第四の経済規模を誇る国に導いた。だが、1961年の軍事クーデターにより政権を得た朴正熙は、個人の自由を弾圧、多くの反体制活動家を粛清した。内外に多くの敵を抱えることになった朴ファミリーは、1974年、朴槿恵がフランス留学中の22歳に時に母親が暗殺される。父親を狙った北朝鮮の狙撃だった。つづいて1979年には父親が夕食会の席で殺される。今度は時の中央情報部部長の犯行だった。その知らせを初めて聞いた時の彼女のセリフは「北朝鮮との国境は大丈夫か」という言葉だったという。

このあたりのストーリーを知るには、歴代の韓国大統領の栄光と蹉跌を綴った『韓国現代史』(木村幹、中公新書)が入門書として最適だ。相次ぐ父と母の死に深く傷ついた朴槿恵は、長い間、政治の第一線からは姿を消す。彼女が政界に登場したのは、1998年のアジア金融危機だ。与党のハンナラ党でみるみる頭角を現し、党内権力を掌握、2012年にセヌリ党への改称を主導し、見事に大統領の椅子を獲得した。

今回の韓国大統領選で最大の争点になったのは「財閥」のありかたについてだった。韓国では、サムソン、ヒュンダイなど10大財閥の売上が実に国内総生産(GDP)の8割を占める。しかし、財閥に勤められるのは国民の数パーセントにしか過ぎない。ソウル大学、高麗大学などトップエリート大学を出ても、就職先がなく、大卒の四割が仕事に就けないという状況。怒涛の学歴社会を制覇し、留学で英語力を獲得し、なんとか財閥に入社できたとしても、40歳になって限られた役職に就けない多くの社員は放逐される。その結果、自殺する者も多いという。そんな超格差社会に絶望する若者世代を中心に「我々は特権階級の犠牲になっている」と財閥批判の声が高まり、野党・民主統合党の文在寅は「財閥解体」を錦の御旗に訴えた。

対する朴槿恵は折衷案で、財閥を一定程度温存する一方で、高校無償化、大学の学費半額支援などの福祉政策もアピールする。YouTubeで再生回数世界一の10億ビューを達成したPSYの「江南スタイル」は、富裕層のビバリーヒルズである江南地区に住む、金持ちたちのライフスタイルを皮肉ったポップスだ。江南のボンボンたちは乗馬クラブに通い、奥様方はヨガに勤しむというシーンを、あの馬乗りダンスというパンチ力のある振り付けで、価値転倒させようという一大権力闘争なのだ。大統領選の末期、若者の支持を取り付けようと、馬乗りダンスまでテレビの前で演じて見せた朴槿恵自身は、まさに江南に住んでいるのだが、なんともなりふり構わずというしかない。

大統領選は、財閥改革を叫び20代、30代の支持を得た野党・文在寅が優勢に見えたが、それに危機感を持った50代、60代の既得権益世代が、選挙当日twitterなどで投票を呼びかけ、実に僅差で与党・朴槿恵が当選したのは、我々の知るところだ。父親の朴正熙が成し遂げた「漢江の奇跡」が必要で、輸出型企業の成長なくては、この国は成立しえないという、ギリギリの選択を韓国は選んだのだった。この当選を知って絶望し、自殺者が出たというニュースが報道された。その勝利は、世代間の対立、富める者と貧者の対立は解消され得ず、ますます亀裂が決定的に深まった、実に危うい崖の上の勝利と言えるかも知れない。

韓国財閥の最新のレポートとして元日経新聞ソウル支局長の『韓国財閥はどこへ行く』(玉置直司、扶桑社)が、状況分析として秀逸だ。ロンドンオリンピックで韓国選手のメダル獲得が相次いだが、その背景にも財閥の支援があったことなど、財閥の力が国家の中枢にまで及んでいることや、財閥の後継者争いで御曹司たちに複数の自殺者が出たことなども含め、財閥の光と闇を描き、その急成長の秘密と、今後の行方をウオッチしてくれる。

次回は、リアルの政治経済の世界や、ドラマやポップスというフィクションの世界でも、血と涙を繰り広げる、韓国人たちの熾烈な激しさが、どこから来るのか、その世界観のメカニズムを明らかにしてくれるBooksをチョイスしたい。

今回のBook choice:

2013.01.10 Thu by 滝澤 恭平 from Books

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