THE FORUM 世田谷

岩波文庫の三冊 #1「妖に惑いし内と外と」

39c104e4675b3cba5f060682e97fbb2a

「運命をはねつけ、死を嘲り、ただ
 野望を抱いて、智恵も恵みも恐れも忘れてしまう。
 お前たちも皆知っているように、慢心は
 人間の最大の敵なのだ。」
(『マクベス』シェイクスピア、岩波文庫)

魔女の女王ヘカティは配下の3人の妖女を叱り飛ばしながら、人間の驕慢が向かう先に待つ懲罰をこう示唆した。

主人公のマクベスは3人の妖女に導かれて野心を遂げるが、人の道に背いたことへの悔恨から狂気と焦燥へと堕ちてゆく。動くはずの無い森が動き女の腹から産まれぬ子に討たれて死ぬに至るまでの、その疾走感にこそシェイクスピア四大悲劇のひとつである『マクベス』の醍醐味がある。

今回、縁あっていくつかの物語を紹介させていただける運びとなった。どんな本も、伝えたい人がいてはじめて書かれる。そして読み手に出会ってはじめて本になるのだと思う。古く昔に書かれた本も現代に甦ることは出来る。そんな「本がもういちど本になること」について、わずかばかりでもお手伝いをしたい。「岩波文庫」というとても毅然とした態度の本たちをめぐって、いま改めて読んでも色褪せぬいくつかの物語を連れてきて並べてみたい。

人は誰しも己が力の及ばぬものに魅せられるのではないか。マクベスを惑わす妖女の存在や、彼の過ちを苛み追い詰める幽霊や幻影は、いわば妖(あやかし)の存在である。今回はそんな「この世のものとは思えぬ妖しげな何か」が気がかりになる、人間の揺らぎをテーマに据えて選書してみた。

マクベスやマクベス夫人は作中、とても直線的に、権力に溺れ身の破滅に至る道を急ぐ。はじめ妖はその道筋に華を添えるが、次第にまるで追い立てるように騒ぎだす。その嬌声はマクベスに自信と不安を当時にもたらし、加速度的に自分を見失っていく。まるで狂気の滑走路だ。誰しも一度は気の迷いというやつを感じたことがあるだろう。耳元の囁きというか、脳内の誘惑というか、そんな類の気の迷い。そこを衝いて惑わす妖は、実は自分の中の欲深さや驕りが姿を変えたものなのではなかろうか。そんなことを考えてしまう。

ところで勇気あるマクベスは妖と懇意になりすぎてその身を滅ぼしてしまったが、そもそも妖に出会ったらまず、惑い「慄然(ぞっと)」するのが礼儀である。ストーリーを極限までそぎ落とし、情緒や描写に酔いながら妖しげなものに吸い込まれていくのが泉鏡花の『眉かくしの霊』(岩波文庫)だ。他愛も無い投宿の出来事にいくつかの思い出話が絡み合って物語は進む。提灯の火が点いたり消えたりを繰り返し、最初はおぼろげだったお化けの存在がだんだんと色濃くなってゆく。主人公の境賛吉が「確乎(しっかり)しろ、可恐(おそろし)くはない、可恐くはない。・・・・・・怨まれるわけはない。」と歯を食いしばって言葉を吐くとき、お艶の霊は読者の前にはっきりとその姿を現す。人は心に必ず後ろめたさを抱いている。それは明らかな罪とは違うかもしれないが、悔いているという点であまり喜ばしいものではなさそうだ。だから怨まれるわけが無くとも怯えてしまう。そして手の負えないこととなって私たちは翻弄されてしまうのだ。

どうやら「この世のものとは思えぬ妖しげな何か」は、常に私たちを魅了したり弄んだりしながら、ある導きを示してくれるようだ。それは自らの心に沈みこんだ何かが光を受けて輝きだすイメージに似ていて、一種の直感のようでもある。自分の中に主客ふたりの自分がいるような感覚かもしれない。私たち現代人はとても忙しく働きながら、何かしら自分の望みを追い求めて生きている。どんな些細なことでも、生きるための動機となって私たちを鼓舞する。見方を変えれば生きるということは荒々しい行為なのかもしれない。しかし、ふと立ち止まったとき心の中に凪が来る。その凪の上を波紋もつくらずにそっと近づいてくるのが妖なのだと思う。それらは私たちの思考の中で増幅し濃くなって存在感を増す。気付いたときには既に傍らに佇んでいるのだ。それは気付きとの表裏に近い。

ここで最後に、和辻哲郎『古寺巡礼』(岩波文庫)を紹介して終わりたい。巨人・和辻哲郎は30歳の若さで本書を上梓するが、感情がそのまま溢れたかのような文章は後に筆者自らの手によって改訂されることになる。それでも尚、この本が読む人を惹きつけて止まないのは、彼が感じた知的直感の重厚さに他ならない。本書は先の2冊と異なりある物語を追うのではないから、あらすじの多くはここでは語らないが、それはむしろ断片的に読んでも面白い、紀行文のようなものだ。ここでは筆者が妖の源泉を自らとは隔絶した外界につかまえる。つまり古寺を巡って受け取る全ての感覚が、妖の作用として起こるのだ。序文から言葉を拾おう。「若さ、情熱、幼稚、空想、これらを以って余りある自由な想像力の飛翔。このように自己が古美術と干渉して生じた感激の純度を明らかにし、かたやそこに具体的な妖なる存在そのもの(イデア)をあぶりだす。」私には頁々から、著者が飼う豊かな感受性が”この世のものとは思えぬ妖しげな何か”を敏感に掬い取っては書きつける表現の豊穣が浮かび上がって見えた。

改めて、妖とは人間の中にあって省みられ、外にあって捉えられる、そんな存在なのだと感じられる。あまり難しく考えずとも、ここに挙げた3冊は焦らず急がずに文字を拾えば興味深く読める本たちであって、繰り返し読むにも耐えうる本だ。とかく私たちは忙しく生きている。せかせかとした日々の間隙を縫って、妖しげな何かは私たちにぴたりとはりついて離れない。そこに目を遣る慎ましさが欲しいと思った。

いまだからこそ読みたい古典を「岩波文庫」という態度から掘り起こす、そんなことをここで試みてみたいと思います。次回もよろしくお願いします。

今回のBook choice:
『マクベス』シェイクスピア(岩波文庫)
『眉かくしの霊』泉鏡花(岩波文庫)
『古寺巡礼』和辻哲郎(岩波文庫)

2013.01.31 Thu by 花田 一郎 from Books

TAG :

Page Top

Copyright © THE FORUM All rights reserved.