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思考の変遷 130401

2013.4.1 WATARU MUTO

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僕のビジネスの先生は、リクルートを創業された江副さんだった。

 2001年に建築の大学院を卒業した。その時は、いわゆる不況就職氷河期で、僕の研究室の先生はそれでも、力のあった人なので、同窓生は、竹中とか大成とかそこそこのゼネコンに就職したり、三井不動産とか、しっかりした会社に入っていた。

僕はそのころ、ほっといたら模型を作ってしまうような、超デザイン意匠思考の人間だったので、著名巨人建築家のアトリエを紹介してもらって、1週間くらい働いたりした。

でも何かしっくりこなかった。

 建築を作るということをもっと、お金の流れとかそこから考えないと、建築家という職能自体が立ち行かなくなるのでは、と、思った。

その時に江副さんに誘われて、江副さんがリクルート等の一線から離れた後にやっていた会社に入れてもらった。ディベロッパーだった。

江副さんはディベロッパーアーキテクトという言葉を教えてくれて、僕らにいろんな機会を与えてくれて、多くの体験をさせてくれた。

 

僕の考え方の中心はその時に教わった考え方が基本にある。

今年、そんな江副さんが亡くなられた。

 江副さんには、最初っから、結構高額の給料をいただき、何もできない僕にいろんな機会を与えてもらった。投資していただいた分、儲けていただく前に、僕は会社を辞めてしまい、リノベーションの会社などを作って今までやってきた。

辞める際に、世話になった分をお返しできてないと思っていたので、とりあえずその当時自分がかかわっているプロジェクトが着地するまでは、無償でもよいから、最後まで見させていただきたい、と、進言したら。江副さんは、中途半端はよくない。君は君が次にすべきことに全力になりなさい。と、言ってくれた。そして、僕がやろうとしているリノベーションプロジェクトの話を聞いてくれて、投資規模感含めてちょうどよいね、と言ってくれた。そして僕はすっきりやめて、次の事業に打ち込めた。

 

辞めた後も、もう少し自分でしっかりした事業をつくり、胸をはってご報告に行き、場合によっては、物件ベースでもよいので投資をしていただき、儲けてもらう。ということをしたかったが。

 そんな当時のメンバーと江副さんを偲ぶ会を先日行った。

皆元気だ。活躍している。

 東京R不動産もそうだし、candeoホテルもそうだし、visixや。外資投資ファンドで稼いでいる人もいるし。みな、当時、切磋琢磨したメンバーだし、不動産、建築業界に少なからずの影響を与えている人たちだ。

 江副さんのヴィジョンの旗印に集まった人間が、今では、散り散りなったが、それぞれの立場で活躍している。

江副さんに経済的恩返しはできなかったし、大金持ちだから、たとえ少しリターンを出せたとしても、さしたる影響はなかっただろうが。

 

何か、学んだものを、基礎としながら、しっかりと事業を作っていきたいとあらためて思った。

 シェアハウスはしっかりやれば、しっかりした市場を形成できるし、やってそうでちゃんとやられていない。そして、人々の暮らしにしっかりとした価値提供ができるはずである。そういう暮らしを事業を通して提供すること。それのみだ。

 江副さん、改めて、ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

 

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