THE FORUM 世田谷

野田一夫先生を囲んで

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THE FORUM Setagayaは、野田一夫氏(現在、事業構想大学院大学学長、日本総合研究所会長)の父上(野田哲夫氏、日本の航空技術の草分け、目下『風立ちぬ』の主人公として一躍脚光を浴びた堀越二郎氏の直属の上司)の旧邸を改造したもので、若き野田一夫氏もそこで暮らされておられました。
THE FORUM Setagayaでは、先般野田一夫氏をお招きし,関係者一同でいろいろと往時のお話をお伺いした後、歓談のひと時を過しました。野田一夫氏はすでに86歳の高齢ですが、まだ学界・産業界の第一線で活躍しておられ、メディアにもたえず登場しておられます。以下に、その一つをご紹介させていただきます。

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「起業家を育てる 頑固な志 教え教わる」

■大学改革を目標に掲げ、成果を挙げたが、苦労の連続だった

多摩大学、宮城大学、事業構想大学院大学……。次々に3つの大学の創設に関わり、初代学長を歴任した野田一夫さんの略歴を見れば「順調な大学教授人生」を送ってきたと思うのが普通だろう。だが、本人はそれを否定する。
「確かに僕は、卒業と同時に大学に残り、型通りの過程を経て教授となり、還暦後は3つも大学を創設して学長を経験した。しかし、僕は望んで大学教授の道を歩んだわけではない。実は学生時代にすでに日本の大学教育の実態に失望し、大いに反発した。そのうえ、卒業後、思いがけず大学の世界に入ってからは、独特の慣習とか価値観にどうしても我慢できなかった」
「だから、若い頃から一貫して大学改革を主張し続け、それを実現するために学部や学科の新設から大学創設の責任者まで、率先して引き受けた。だが、どの場合でも、激論、中傷、軋轢などを散々経験した。目的を達成した後も、精神的充足感が長く続いたことはほとんどなかった。だから、『順調な大学教授人生』といった感懐なんか全く湧いてこないんだな」
こうしたはげしい生き様が父親譲りだと自認するだけでなく、誇りにしている。父は日本の航空技術者の草分けで、晩年は世界に名を轟かせた“零戦”開発の責任者でもあった。
愚痴と陰口が大嫌いな典型的な「明治の男」で、常に未来志向だった父に憧れた野田さんは、子供の頃から「父を超える航空技師になろう」という人生目標を抱き続けたが、目標は敗戦とともに潰えた。旧制高校3年の夏、大学進学直前の夏だった。
占領政策で日本は航空機の製造を禁止され、東大工学部航空学科も廃止。やむなく理系から文系に転じたことが大学教授になる契機となった。

■大学改革とベンチャー経営者の育成に半生を費やした

野田さんは大学入学当初から、社会科学そのものに興味を持てなかった。そのうえ、講義の多くが低調で休講が日常化していたことにもあきれ、勉学意欲まで失った。
「講義の最中に突飛な質問をしたりして、多くの教員から距離を置かれた。僕はそういう性格だから仕方がない。だが幸い、1人の教授がそんな僕を『面白い奴だ』と思ったのか文句などを聞いてくれた。卒業の際には大学院特別研究生として強力な推薦までしてくれたらしく、僕は思いがけず大学教授の道を歩むことになった」
「しかし、大学の世界にはびこる陰湿な人間関係や不条理な因習に僕はたちまち失望した。ちょうどそのころ、マサチューセッツエ科大学(MIT)からフェローの話が突然舞い込んだ。処遇条件が非常によかったのは、おそらく数年前に著書の翻訳を通じて親しくなっていたピーター・ドラッカーが推薦してくれたからだと思う」
2年間にわたったMITでの恵まれた研究生活を経て、心の中に斬新な大学像が形成され、日本の大学改革の決意と構想が固まった。
「帰国直後、立教大学観光学科の設置を皮切りに、半世紀の間に3つの大学の創設にまで関わり、大学外では日本総合研究所やニュービジネス協議会なども設立できたことは、すべてあのMITに滞在したおかげだった」
「ニュービジネス協議会だが、これは日本最初のベンチャー、つまり創業型企業の経営者の団体。ベンチャーの経営者たちは規模の大小、業種の違いはあっても、みんな苦労しながらも思う存分、自分の理想を推進している人たちで、僕とは本質的に気が合う。常に目標や志を強烈に抱いている点で、僕はこの年齢になっても彼らから強い刺激を受け続けている」

■85歳の今も、次の事業のことを考えて胸を躍らせる

「昔から僕のところには、自然に若いベンチャー経営者が集まってきた。その中で『ベンチャ-三銃士』といわれている沢田秀雄(エイチ・アイ・エス会長)、孫正義(ソフトバンク社長)、南部靖之(パソナグループ代表)の3君らとの付き合いはもう30年以上になる」
「先年、雑誌の対談の席で、孫君から『昔、先生から志の大切さを教えられました』と言われて驚いた。僕は全く忘れていたのに……。さらに『夢とは少年や少女を含めて誰でもが未来に描ける淡い願望にすぎないが、志とは多くの人々が等しく未来に描いている淡い願望を確実に実現しようとする、高邁にして堅固な意志なのだ』と僕から言われて目を開かされたと聞いて、僕の方がむしろ感動した」
「言ったはずの僕が覚えていない以上、それは聞いた孫君の心の中にすでに潜在的につくられていた人生観だったはずだ・・・・・・・。当然、孫君への尊敬が一層深まった」
「孫君は今や売上高3兆円に達したグループを率いる事業家だが、彼が僕のオフィスに初めて訪ねてきた20代半ばのあの時、短時間の僕との会話のやり取りで、卒然と自らの壮大な事業にふさわしい理念ないし哲学に目覚めたのかもしれない」
「僕は現在、東京・南青山の事業構想大学院大学の学長。事業には戦略とか計画が必要だが、長期的には事業の総責任者の心に“志”と呼ぶに足る理念が確立され、それが社員全員の心にも深く浸透することがもっと重要だ。結果として得られる『社会の人々の信頼と支持』という見えざる成果こそ、事業発展のための究極的条件に他ならない」
先ごろ「悔しかったら、歳を取れ!」(幻冬舎)という本を出版した。
「『わが反骨人生』という副題が気に入ったんだ。長年にわたる日本の大学や社会に対する僕の厳しい思いが込められているからね」
「日経新聞2012年9月13日夕刊より」

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デジタルメディア研究所所長・橘川幸夫氏(ロッキング・オン創立者)と共に

2013.10.02 Wed by THE FORUM official from special

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