THE FORUM 世田谷

#008 ベンチャー創業の熱伝導人・加藤順彦さん

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ベンチャー創業の熱伝導人・加藤順彦さん

ベンチャーは、新しい産業づくり以外やっちゃダメ!
憧れの存在を胸に、道なき道を突っ走れ!

―― 加藤さんが、最初に起業されたのは19才の時ですよね。その時設立したリョーマ(*1)は、わずか数年のうちに事業規模を拡大し、ダイヤルキューネットワーク(*2)では、学生だったにも関わらず部長に就任と、何もかも規格外と言う感じですが…。

加藤 大学1年の6月に、真田さん(*3)と西山さん(*4)と言う、ふたりの先輩と出合って、一緒に仕事をはじめたのが11月。「なんでそんなおかしな事をはじめたんですか?」って、よく聞かれるんですけど(笑)。僕自身は、起業とか創業とか、全く考えてなくて、ただ単にふたりがカッコ良かったから。助手と言うか、鞄持ちみたいなことをはじめただけだったんですね。

結果的には、当時ツーショットダイヤルと呼ばれていた、ダイヤルQ2のしくみを悪用したコンテンツが社会問題となり、もちろん、我々はそういうサービスはやっていないし、稲刈り情報とか天気予報とか、真面目に情報提供していた会社もいっぱいあったんですが…。大学を卒業した翌月、法規制に伴うNTTからの通達があり、会社はあっけなく潰れてしまいました。

ショックでしたよ。
やってしまったことの大きさが、じわじわくる。その頃、22、3です。社会的にあまりにも無力で、再就職の手配もできない中、一番年上の社員が47で、高校3年生の息子さんがいたんです。自分たちはともかく、一番迷惑がかかるのは、社会的常識も責任もある、そう言う人たちなんだって気付いたら、人を雇用するのは畏れ多いこと、罪なんだと思いましたね。

それ以来、経営者の原罪みたいな事をトラウマとして持ってしまって、次にはじめた日広では、とにかく身の丈、自己責任で、小さくやろうと思いました。

―― とは言え、日広(*5)は、堀江貴文さんや、楽天の三木谷さんほか、ITベンチャーのカリスマ社長を次々と輩出したビットバレー(*6)の、中心的企業だったと記憶していますが…。

加藤 実は、日広は当初、僕の責任の範囲内で数名のアシスタントを雇い、雑誌広告をやっていたんですよ。しかしその世界は、歴史と共に既得権が確立し、ベンチャーの入り込む余地などないとわかってきたし、はしごを外されるように会社が破綻した後だったので、数年はシラけた虚脱感の中にいました。

ところが96年を境に、パソコン雑誌がいっせいにインターネットの事を書くようになったんですね。それをむさぼるように読んでいるうちに、チャクラが…(笑)。これからメディア革命がおこるなら、インターネットが広告媒体になると確信しました。雑誌広告売っている場合じゃない!と。

その時ね、気付いたんですよ。ベンチャーがやるべき事って言うのは、新しい産業づくりで、それ以外はやっちゃダメだって。要は、僕がはじめたインターネット広告という産業は黎明期で、ルールがなかったんですよ。先が見えないから、大企業は簡単に手が出せなかった。どんな産業も同じだと思うんですけど、ルールがない中をバーっと走って行った奴らがルールを作り 、既得権そのものになるんです。
案の定それ以降は、2006年まで、社員も売り上げも拡大の一途。ビットバレーのど真ん中で、夢見人たちの夢を聞きながら、交通ルールも信号もない中を突っ走っていました。楽しかったですよ、ものすごく。

まあ、ご存知だとは思いますが、その年の1月に堀江さんが逮捕されて…。勝ち負けじゃなく、全負けでしたね。マーケットそのものが、ある日蒸発してしまったんです。

―― 現在はシンガポールに移住され、若い起業家の支援をお仕事にされていますね。

加藤 支援と言うか、あくまでも経営陣の一人として、一緒になって奮闘しているんですが(微笑)

2006年の堀江ショックの後、年に1、2回Googleやマイクロソフトに呼ばれてアメリカに行っていたんですが、ちょうど、ジャック・マー(*7)や、ロビン・リー(*8)が台頭してきた頃で、これからはアジアの時代だって言うんです。日本では、ITベンチャー総崩れだった頃に、ですよ(苦笑)。しかも、「ハイグイ(海帰、海亀)」と呼ばれる彼らは、アメリカで起業し、母国に産業と雇用を生んだ英雄として教科書に載り、多くの人たちの尊敬を集めていると言うんですね。
ハンマーで打たれたような衝撃を受けました。同じような産業を興した企業家を、袋叩きにした日本と、国の英雄として教育している中国、なんたる違いかと思いましたよ!

そして、日本にもそう言う人が必要だと感じました。起業家に優しい海外で起業し、凱旋する格好で日本に産業をもたらす人が。その時は、そう言う日本人を思い浮かべても、ひとりもいなかった。それで、これからはアジアが来る、シンガポールは外国人が起業しやすい国だって情報だけを頼りに移住しました。今はシンガポールで、日本のウミガメ企業家の、ロールモデルを作ろうとしています。(*9 主な参画先)

最初、僕自身がそうだったように、あの人みたいになりたいっていう憧憬が、パッションにつながると考えると、ロールモデルの存在はものすごく大事だと思うんですよね。憧れの対象となるロールモデルがひとりでも出てくれば、次は自然に現れてくる。

…あはは!(笑) そうですね。シンガポールで起業家を支援すること自体がノールール、道なき道ですからね。そういうところを疾走するのが、楽しいと言うのもあるでしょうね。

―― 最後に。
THE FORUMで、加藤さんがやってみたいイベントはありますか?

加藤 ここなら、僕が参画している各社の社長を一同に集めて、ディスカッションとかかなぁ(笑)。今まで考えた事もなかったけど、面白いかも知れません。で、その模様をUSTREAMで公開するとか!

加藤順彦ポール | Asian視座でいこう http://katou.jp/
加藤順彦ポールTwitter https://mobile.twitter.com/ykatou

*1 株式会社リョーマ(1987~1992年) 合宿免許の斡旋事業など、学生をターゲットにした商品の、プロモーションからマーケティングまで幅広く事業を展開。関西の現役大学生を中心としたベンチャー企業として話題となった。ウィキぺディア → リョーマ (ベンチャー)
*2 株式会社ダイヤルキューネットワーク(1989~1991年) NTTが開始したダイヤルQ2サービスを利用して、電話回線を使い音声や画像を送る情報提供サービスをはじめたコンテンツプロバイダー。ウィキぺディア→ダイヤルキューネットワーク
*3 真田哲弥さん KLab株式会社 代表取締役社長
*4 西山裕之さん GMOインターネット株式会社 専務取締役
*5 株式会社日広 (現 GMO NIKKO 株式会社)
*6 ビットバレー 1999~2001年の約3年間、渋谷桜丘町を中心にIT関連のベンチャー企業が次々と立ち上がり、集い、競い合う中で市場を拡大していったムーブメント。
*7 ジャック・マー 中国の実業家。イーコマースを中心に事業を拡大したアリババ社の創業者であり、CEO。ウィキぺディア→ ジャック・マー
*8 ロビン・リー 中国の実業家。中国最大の検索エンジンである「バイドゥ」を開発。バイドゥ社CEO。ウィキぺディア→李彦宏
*9 主な参画先は、ファッションのsatisfaction guaranteed、Skype英会話のラングリッチ、プレスリリースサービス@press、サービスオフィスCROSSCOOPソーシャルワイヤー

※加藤順彦さんの著書『講演録 若者よ、アジアのウミガメとなれ〔ペーパーバック〕』(ゴマブックス)、『シンガポールと香港のことがマンガで3時間でわかる本』 (アスカビジネス)は、THE FORUMラウンジにて実際にご覧いただけます。

2013.04.24 Wed by 弦巻 響子 from interview

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