思考の変遷 130402
2013.4.2 WATARU MUTO
不動産、建築と、金融は切っても切れない関係だ。
シェアハウスなどまだ投資商品として十分に認知されてない物件を作り、開発していると、いつも金融の壁にぶち当たる。リノベーションもまた然り。
つまり金融機関が評価できないのだ。結果、資産の流動性が普通のモノに比べ低くなる。アセットタイプによるものもあるが、例えば、新築と中古だと流動性はかなり変わる。
例えば、税務上の残存期間しかローンのアモチ期間を見られない場合が多い。すると、古い物件はそもそも融資対象となりにくい。人々の暮らしや、都市景観を変えていこうとするのであれば、金融の仕組み、解釈を変えていくという作業が必須だが。
金融庁と国交省のパワーバランスの問題でもあるのだろうな。やはりより優秀(学歴という意味で)な人がいる省庁の方が強いんだろうな。
昔聞いた話で、サブプライム問題はなぜ起きたかというはなし。
ハーバードとかの優秀な人たちの中で、最も優秀な部類の人たちは、自分で起業する。
その次ぐらいの人たちが投資銀行に就職していく。そして真ん中ぐらいの普通の人たちが、格付け会社に就職していく。
つまり、自分より頭のいい人たちが作った、金融商品など評価ができないのだ。
その金融商品を作った人に、評価の仕方を教わったりして、AAAとかいう評価をつけているわけだ。それはやりたい放題だろうなと思う。
日銀がどんなに金融緩和と言っても、要は、金融庁が、不良債権起きたときに結局レンダーに責任とらせますよ、という態度でいる限り、銀行の姿勢は簡単には変わらないだろう。
そして、わかりやすい方向のみに資金が集中し、局所的な一時的資産インフレが起きる。そっちの方が危ないとわかっていても。
税務上の残存期間しかローン元本返済期間を見られないという形である限り、古い建物はなかなか流動性を確保できず、結局、壊して建て直したほうがいい、という従来の流れになる。
いったいそれにより、どれだけの社会資本を毀損したことか。
誰の意思が働いてそのような制度設計になっているのか。日本人を疲弊させて貧乏にさせることにより誰が得をするのか。
穴を掘って、その土で、隣の穴を埋めて。また掘って、また埋めて。
壊しては建て直し、又壊し
思考の変遷 130401
2013.4.1 WATARU MUTO
僕のビジネスの先生は、リクルートを創業された江副さんだった。
2001年に建築の大学院を卒業した。その時は、いわゆる不況就職氷河期で、僕の研究室の先生はそれでも、力のあった人なので、同窓生は、竹中とか大成とかそこそこのゼネコンに就職したり、三井不動産とか、しっかりした会社に入っていた。
僕はそのころ、ほっといたら模型を作ってしまうような、超デザイン意匠思考の人間だったので、著名巨人建築家のアトリエを紹介してもらって、1週間くらい働いたりした。
でも何かしっくりこなかった。
建築を作るということをもっと、お金の流れとかそこから考えないと、建築家という職能自体が立ち行かなくなるのでは、と、思った。
その時に江副さんに誘われて、江副さんがリクルート等の一線から離れた後にやっていた会社に入れてもらった。ディベロッパーだった。
江副さんはディベロッパーアーキテクトという言葉を教えてくれて、僕らにいろんな機会を与えてくれて、多くの体験をさせてくれた。
僕の考え方の中心はその時に教わった考え方が基本にある。
今年、そんな江副さんが亡くなられた。
江副さんには、最初っから、結構高額の給料をいただき、何もできない僕にいろんな機会を与えてもらった。投資していただいた分、儲けていただく前に、僕は会社を辞めてしまい、リノベーションの会社などを作って今までやってきた。
辞める際に、世話になった分をお返しできてないと思っていたので、とりあえずその当時自分がかかわっているプロジェクトが着地するまでは、無償でもよいから、最後まで見させていただきたい、と、進言したら。江副さんは、中途半端はよくない。君は君が次にすべきことに全力になりなさい。と、言ってくれた。そして、僕がやろうとしているリノベーションプロジェクトの話を聞いてくれて、投資規模感含めてちょうどよいね、と言ってくれた。そして僕はすっきりやめて、次の事業に打ち込めた。
辞めた後も、もう少し自分でしっかりした事業をつくり、胸をはってご報告に行き、場合によっては、物件ベースでもよいので投資をしていただき、儲けてもらう。ということをしたかったが。
そんな当時のメンバーと江副さんを偲ぶ会を先日行った。
皆元気だ。活躍している。
東京R不動産もそうだし、candeoホテルもそうだし、visixや。外資投資ファンドで稼いでいる人もいるし。みな、当時、切磋琢磨したメンバーだし、不動産、建築業界に少なからずの影響を与えている人たちだ。
江副さんのヴィジョンの旗印に集まった人間が、今では、散り散りなったが、それぞれの立場で活躍している。
江副さんに経済的恩返しはできなかったし、大金持ちだから、たとえ少しリターンを出せたとしても、さしたる影響はなかっただろうが。
何か、学んだものを、基礎としながら、しっかりと事業を作っていきたいとあらためて思った。
シェアハウスはしっかりやれば、しっかりした市場を形成できるし、やってそうでちゃんとやられていない。そして、人々の暮らしにしっかりとした価値提供ができるはずである。そういう暮らしを事業を通して提供すること。それのみだ。
江副さん、改めて、ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
思考の変遷 130329
2013.3.29 WATARU MUTO
経済的には対昨年割れ、給与も下がった、でも、豊かになった。
この感覚を作ることが、シェアカンパニーが目指す事業。
その一つがシェアハウス。
安いという価値。
住宅コストを見直すことは、生活防衛にとって大きな役割を果たす。そもそも不動産は高額商品であり、それを1割2割コストを見直すだけで、財布にとって大きな好影響をもたらす。シェアハウスは安いということも大きな価値だと考える。
そうしてコストを下げたことによりできた余裕を何に使うか。貯金、将来への投資、等。(この提案もシェアカンパニーが本来行っていきたいことである)
コミュニティを提供する。
田舎の地縁社会の煩わしさ。都会の無縁社会の孤独感。そのどちらかしかなかった。それに対してシェアハウスはある意味いいとこ取りの関係性を入居者に提供している。あるいは提供できる可能性を持っている。友達でも同僚でもない。ライバルでもなく利害関係もない。疑似家族のようなもの。コミュニティを選択する方法を提案しているということでもある。
これらは、シェアカンパニーが存在する、市況環境の概況であり、無理に作り出しているトレンドではない。自然にこういったことを求める人が必ず増えてくるし、既に増え始めている。
安くよい住環境を提供する。
それによりできた余裕資金に対して、よい提案をする。
これがシェアカンパニーの事業骨子。
これらの結果、所得は下がったが、シェアカンパニーの物件に住んでいれば、なんか、より豊かになった、と、思われることが、我々の存在価値である。